2017年12月8日金曜日

 奇妙な目から目をさます。私はなぜかいしだ壱成の家族といっしょにテーブルに座ってる。石田純一がいしだ壱成の最近の行動に苦言をていして、東尾理子がそれに反論する。
 一成は「そんなこと言わなくていいよ。」という。それで、私は「そういうときにに黙っていられないリコさんだから、あなたは好きになったのだと思う。」と石田純一にいう。という。自分がなぜそこの食卓に座っているのかはまったく気にしていない様子だった。 

 

2017年12月7日木曜日

記憶の作り方をかえる。すべてをあいまいに捉えるのをやめて、言葉が浸透するまで
反復を繰り返す。脳の動き方が変わるのがわかる。もう自分では慣れてしまったので、みんなそういう感覚で生きているのかなぁなんて思ってるけど、脳が動くのを常に感じて生きてる。脈打って、情報を吸収する方法を思考しているのを感じる。私の脳は多分すごく几帳面で、正しい方法で情報を収納するためにとても慎重な動きをする。

言葉を鵜呑みにしない、しばし保留にして、本当に必要な情報かを吟味する。
そして多くの場合、記憶のかなたへ投げてしまう。忘却を選択してしまう。だから何度反復しても、知らないことばかりと感じてしまう。

お昼に、カレーを食べながらレオナルドダヴィンチ、とミケランジェロについて少し読む。芸術家のひととなりを知るのはとても楽しい。レオナルドダヴィンチはイケメンだったらしい、ミケランジェロは、殴られて鼻を骨折して、それ以来鼻が曲がっていたらしい。

仕事はそれなりに忙しい。だけど、学校写真を編集するのは実はとても楽しい作業でもある。
 
私は今日も世界が好き。図書館の本を読みながら、できるだけ安上がりに脳みそを作ろっとなんて思う。主婦の節約術、みたいな感じで、あまりお金をかけずに思考を作ってみたい。学者になりたいとか、論文を書きたいとか、そういうことはあまり考えない。

思考そのものが私にとっては大切で、キュニコス額派のディオゲネスのように
王様がやって話しかけてきても、しれっとどうでもよさそうに、思考を続けていたいのだと思う。

2017年12月5日火曜日

 メアリウルストンクラフトについて、少し復習する。(勉強ノートとして日記を使う)

メアリウルストンクラフトは18世紀イギリスの啓蒙主義時代に女性の権利をうったえたフェミニスズムの先駆者。当時のイギリスでは、理性による革命を志す動きが盛んだったけど、その動きの中に女性は含まれていなかった。女性が政治的発言をすることは下品だとされていたため、彼女の本の評判もよくなかったらしい。
 
 彼女は特に、ジャン・ジャック・ルソーの思想を批判した。彼は著書「エミール」の中で、エミールの妻であるソフィーには、男性の関心をかうような教育を受けさせるべきだとした。その中でメアリは、女性にも理性に基づいた教育を受けさせるべきだと主張した。

 メアリは、未婚の母であり、二度の自殺未遂を犯している。
 
 ヴァージニアウルフは、今は当然となった男女同権であるが、メアリの声は、今も多くの女性に訴えかける力を持っているとエッセイの中で記してる。

 私は、哲学者の流れの中では、ジャンジャックルソーは好きな思想家のうちに入ってる。おりこうさんよりも、人間らしい人間が好きなので、ロックやヒュームと仲違いして、いじけて引きこもってしまったルソーに何か愛嬌のようなものを感じたりする。だけどエミールをまだ読んでいないので、共感するのかどうかはわからない。

 今日は1日池袋で過ごした。ラブホテルのあたりをウロウロしてると、病院を見つける。
 老人と腕をくんだ看護婦が、ラブホテルの脇の道を歩いていた。
 池袋には突如どきっとするような現実の断片が投げ込まれていたりする。
 嘘と本当が奇妙にまざりあう町。シャッター商店街のようになっている小岩通りの
 いしいというふとん屋さんの天井が高くて、中に入りたくなった。

 トロントという喫茶店で勉強をしていたら常連さんが次々と入ってくる。
 テレビでは相変わらず相撲のことばかり話していて、しかめっつらでマスターも
 意見を話していた。髪の毛の長い色っぽい女性たちが次々と店に入ってきて、
 居心地良さそうに話をしていた。マスターは、自分の奥さんとの関係をつらつらと
 話、それをお客さんが聞いてる。
 
 マルグリットドゥラスの本だと思っていたら、よくみたらその恋人がかいた
 彼女の伝記だった。俄然、読みたくなる。私は現実の話が、とても好きなのだと思う。
 

2017年12月4日月曜日

ガリレオガリレイが、コペルニクスの考えを支持する学説を発表し、教会から注意されたことついて考える。科学者は、事実を見つめて気がついたことを発表しているのに、それでも権威はそれを許せず、力を利用して自分たちの考えを肯定させようとする。そのため、コペルニクスは地動説に気づいていても、発表すらできなかった。1500年以前には、学者たちは聖書か古代ギリシア・ローマ人の書物に基づいて考えを形成した。アリストテレスは、聖書と矛盾しない限りにおいて、正しいとみなされていた。


 人が、自分自身の目で見つめて考えるよりも、本を読んで知ったことを重視する傾向は昔からあったみたい。言葉を信じやすい人は、権威とも結びつきやすい。教科書に書いてあることをすべて暗記できる優等生たちは先生に頭がいいと可愛がられて、エリートになっていく。そして「予定調和」のように「先生たちにほめられるような」生き方をして鼻高々にいきている。「教科書通り」に生きて一体なにが面白いのか神経を疑う。

 私があくびでもしだしそうな顔で話を聞いていると、今度はムっとしはじめる。私がうらやましがらないのが、悔しいらしい。人からうらやましがられることを、逆算して人生を選択しているからでしょう。

 私は今の自分の人生が結構気に入ってる。誰からもうらやましがられないけど、だからこそ、うらやましがられるような生き方をしないですんだことが、嬉しい。


 

2017年12月3日日曜日

不思議、不思議、世界は不思議な場所。聞く音楽を変えるだけで現実認識は変わってしまう。右に曲がるか左に曲がるか、どこの角を曲がるのかで、現実認識は変わってしまう。
そんなことを考えながら池袋の街を歩く。

西口を出て、立教大学のある方向へ歩いていく。池袋は不思議な街。ドドーンと大きい建物がたくさんあるのに、なぜだかチェーン店に支配されてしまって死んでしまった街の悲しさがない。ドンドーンと大きなチェーンが並ぶ中に見慣れぬものが紛れている。

だから、歩いていてとても楽しい。

科学は池袋の古本屋さんで見つけた、相対論の素顔を読んでいる。
ハイゼンベルクという名前を聞くとドキドキする。私の心は名前によく反応する。
だから本を手に取るとき、まるでその本の内容をすでに知っているかのような気持ちになる。

今、興味のある科学者はハイゼンベルクと、ポールディラック。
小説は、マルグリットドゥラスのものを読んでいる。真剣なおももちで並ぶ言葉たちをみつめて私は不謹慎にもくすくす笑ってしまう。「詩人」だなぁ。なんて。私にはあまり関係のない世界。

朝4時に起きてしまったので、仕方なく4時から1日を始めたら帰りの電車で頭をゆらしながら眠ってしまった。家に帰って作業をしていても眠いので、ベッドに廻り込んだらとても卑猥な夢を見たので笑ってしまった。1時間後に目を覚まして「とても卑猥な夢だった」という印象だけが残っていて、だけど夢の中で何をしていたかはすっかり忘れてしまう。

明日は家賃を払うこと。それから、自転車の支払いと、それと、図書館に行って本を返さないと。

2017年12月1日金曜日

記憶を作る、訓練。勉強方法を変えてみることにした。自分の思考を通った情報が、
どういう風に形を変えていくのかに今は興味がある。

ある人の伝記を読み始めた。その人のことを「ある人」と呼ぶのは、その人の名前の響きが、私の心を支配してしまうから。その人の名前を呼ぶのが、とても怖いから。

だけど私はしれっと彼女の言葉を引用する女性に出会ったことがある。
しれっと彼女の言葉を引用して、彼女と共鳴していることを、ほこらしげに語りたがる一人の女性に。

私は静かに失望する。「そういうことは、あまり口にしない方がよいと思う。」

その人の元恋人と、今私は言葉のやり取りをしてる。

そして、彼女の言葉も、形状が変化しているのを感じる。
すべては言葉の並べ方にあらわれる。言葉の並べ方に、すべてがあらわれる。

2017年11月29日水曜日

すっかり日記のことを忘れていた。情報量を増やすことよりも整理することに集中する何週間かを過ごす。少しずつ、考えながらコマを進める。
とりかえしのつかないことに、ならないように。思い込みを捨てながら。

エントロピーの法則について考えるようになってから、整理整頓が苦痛じゃなくなってきた。質量とエネルギーはイコールで結ばれる。アインシュタインの相対性理論が、日常生活を見つめる時にとても役に立つ。

私が自分の思考力に自信があるのは、本を読まないからだと思う。
本によって知ったことは簡単には信じない。だから現実を見つめるときの視点が、あまり他人と重ならない。蔵書量の多い人は、ずいぶん自信ありげにすべてを語りたがるけど、
案外簡単なことを見落としてしまっていたりする。

ある人と言葉を交わすようになってから、沈黙の中に閉じこもっていたい気持ちがますます強くなっていく。その人の言葉は私にとってはとても特別なもの。

その人の言葉をきくと、ついになった量子がテレパシーでお互いの状況を理解するようなそういう感覚になる。ヘルマンヘッセのデミアンの世界。

秩序から無秩序へ向かう苦痛や、創造から破壊へ向かう衝動や、生命から死へ向かう、価値から無価値へ向かう、そのエントロピーの法則を、私の心はやぶろうとしているのを感じる。無価値から価値へ、無秩序から秩序へ、破壊から創造へ。

ちりぢりばらばらになったガラスのコップが、形を取り戻していこうとするような、そういう感覚が体内に満ちてるのを感じる。未知の世界の住人になって、身体からこぼれだす言葉を、きちんと記録してみたいと思う。
 

2017年11月14日火曜日

用事があって、新宿にいく。テープレコーダーに録音した世界史のテープを聞いてる。
啓蒙主義について。ヴォルテール、ルソー、ウルストンクラフト、聞き慣れた名前たちが耳の中に入ってくる。脳の中の細胞が、水の中の微生物のようにエサを求めて動き始め、血流がよくなっていくのを感じる。

光の中を歩いていると、世界に愛を感じて生きることはとても簡単なことに思える。
苦しみや悲しみは感じたことのないものかのようにどこか遠くに言ってしまう。
地面から沢山の手が生えてきて、自分の足を引っ張ろうとするような、あの地獄のような悲しみや苦しみが、まるで自分の無縁のものように思える。

だけど闇は影をひそめながらも、私をじっと見つめる。
「お気楽な人間だな。自分がそこから離れてしまえば、それとは関係のない世界の住人にすぐになってしまうんだから。」

 鬼たちのひそひそ話が聞こえる。私が闇の中に転げおちて、また助けを求めるのをひそやかに待っているよう。助けを求めて手を出しても、きっと今度は助けるつもりもないのだと思う。私が静寂の中で死んで溶かされていくのを、大喜びで見つめるにちがいない。「形のないものを信じようとした罰だよ。」なんていいながら。

 形のないものを信じようとすれば罰を与えられる。

 それを信じたことがない人たちが、それを信じることを禁じるから。
 それはきれいごとであり、理想であり、「真実」ではないと。
 
 あららおかしなことをいうのね。と私は思う。だって、私には形のないものしか見えないから。私には形が見えないから。世界は二分されていくのを、いつも私は黙って見つめながら考える。形を賞賛する人間と、それに違和感を感じる人間。だけど私の目に見えるものをそれが見えない人が否定するのはおかしなことだといつも思う。

2017年11月11日土曜日

カニエウェストがエレンのトークショーで自分が世界をよい方向へ導くことができると長いスピーチをしているところを見る。それからカニエの奥さんでもあるキム・カーダシアンがパリで強盗にあい、銃を突きつけられてから「すべてが変わった。私はまるで違う人。もう、物質的なものを人に自慢したいなんて思わない」と話すのを見つめる。

それからキム・カーダシアンをジェニファーローレンスがインタビューして、よりそいながらも密かに彼女をバカにする言葉を混ぜ込む様子を見つめる。

 一人一人は自分の正しさを主張しているのに、口から溢れ出す言葉に何か矛盾のようなものを感じてしまい、心のドアがしまっていくのを感じる。「それはだめです。」

 その中で私が好きだったのはウッディアレンが、ダイアンキートンが賞を受け取る前に紹介するスピーチの動画。相手をよくみつめ茶化しながら描写していく感じに愛を感じる。


   

2017年11月7日火曜日

アメリカの高校の世界史の教科書をインターネット通販で買った。分厚い、辞書のような教科書。読んでみると、とてもわかりやすい。科学革命のあたりから読み始める。
説明の仕方が、日本の教科書と全然違う。歴史を一つの物語として描く。

日本の教科書には流れがあまりない。事実を書き並べているだけで、流れの描写にかんしてはかなりおざなりな印象。アメリカの教科書は、かなり分厚いけれど、読んでいて楽しい。これとバートランドラッセルの哲学の教科書を一緒に読んでいけば、理解を深めれそうな気がする。

友人の知り合いということで知り合った男の子が下北沢のオトノマドで買って好きでリピートして聞いてたCHRIS WEISMANと友人だということを知る。あ、いいなって思って、コピーをとって古着屋さんに持って行ったくらい好きだったから。Message from Work というアルバム。

思わず、その男の子にメールをしそうになる。私は偶然がとても好き。


嵐が過ぎ去ってから天気がとてもいい。私も、つられてご機嫌に。(なんて、単純なのだろう)インターネットの制限解除をしてから作業をしながら適当に動画をかける。アメリカのコメディアンの動画を中心にみてみる。

DAVID LETTERMANが、パリスヒルトンや、リンジーローハンに刑務所に入った経験について聞こうとした時に、彼女たちが居心地の悪そうな顔をする動画がとても好き。



朝起きて、今まではすぐに科学の勉強をするのが好きだったけど、
今は朝起きてすぐに漫画を描くのが好き。漫画家になりたいなんて思ったことないのに、
なぜか書いてるととても楽しい気持ちになる。

朝起きてすぐに小説を書きたいと思ったらあなたは小説家と、どこかのトレンディドラマでいってた。朝起きて科学の勉強をすぐにしたい私は科学者で、
朝起きて漫画を書きたい私は漫画家で、朝起きて、何もしたくない私はフリーター。
朝起きて、散歩に出かけたい私は犬。でカメラを持って出かければ写真家。


そういえば、金原ひとみの小説の続きを池袋の喫茶店で読んでみたけれど
まったく共感しなかった。退屈な気持ちになり、となりの男の子たちの話に耳をすます。
「早く博士課程いきたいよ。6年で論文一本かけばいいんだよ?最高だよ。なんだかんだでさ、大学は忙しいじゃん。でもさ、博士課程はきっとボーっとできる気がするんだ」

私は金原ひとみの本を開きながら「ボーっとしたいなら社会人になってもできるよ!」
と応援してあげたい気持ちでいっぱいになった。





2017年11月5日日曜日

さて、やる気がみなぎる日。日記代わりに、四コマをかく。
ここではないどこかを愛するのではなく、今、ココを。愛する。

現実批判に奔走するマスコミを見つめがら、私はSELF RIGHTEOUSNESSが嫌いなのだと
気がつく。自分は何も悪くない、悪いのは現実。そう感じてるように思えて「オエオエ、キモチワルイ」なんて思う。現実が醜いのは私たちのせい。空が青いのもポストが赤いのも私たちのせい。秋が短くなり、すぐに冬になってしまうのも私たちのせい。花粉が世界に満ち溢れて、くしゃみばかりしているのも私たちのせい。大好きな古着屋さんが閉店してしまったのもきっと私たちのせい。きっとすべては私たちのせい。

だけど、私はそれでも現実がとても好き。ここではないどこかを羨望の眼差しで見つめる人生から解放されたことが嬉しい。

だけどすべては偶然の重なりでたどりついた場所。だから私は偶然に感謝しないと。
 朝、起きる。風はとても強く、お天気はとてもよい。昨日は久しぶりに近くのエジプト料理屋さんでマトンカレーを買って帰ってきた。インターネットで
 Amy Schumer とエレンの対談を見てみる。エイミーがカリフォルニアに住めば?と聞かれて「私はカリフォルニアには身体があわない。私の腕は、カリフォルニアだと足だとみなされてしまって。。」と話していて笑ってしまう。

 私は笑うのがとても好き。

 ドアはランダムに開く。目の前にある無数のドアが、ふと瞬間に開いたりする。
 だけどドアをくぐって中に入っていくと、突如行き止まり。とおせんぼ。
 「ここから前には進ませません。」

 「あらそうなの?」
 
 私は扉をあけたりしめたりするのが苦手で、いつも心を全開に開いて、世界を歩く。
 頭をポンポンと撫でてくれる人がいたら、しっぽはパタパタとゆれる。
 
 だけど、そこに支配欲や、独占欲を感じると、すぐに逃げ出したくなる。
 私は自由が好き。自由、自由、自由、自由の中でひなたぼっこをしていたい。

2017年11月4日土曜日

I wake up in rage, I am thoroughly dissatisfied with this world. Most people are dead without noticing that they are dead, or they live like charlatans.
And instead of giving, love makes demands. those who show us affection expect us at least to satisfy some of their needs. Telling lies brings remorse. And not to lie is a gift the world does not deserve.
 世界はとても不思議な場所。嵐が過ぎ去り、雨もだいぶ少なくなった。私は思考を巡らして、自分の次の一歩を考える。ある人にメールをする。「しばらく、連絡しない方がいい気がする。」

インターネットの制限を解除してみる。情報がドッと流れ込んでくる。
テレビで放送している番組を見てみる。いしだ壱成の離婚について、などなど。
いろんな人の情報が電波に乗って私のもとに届く。でも彼らのことについてなんで私たちは知りたいのだろう。芸能人の人生を批判して、正義のヒーローのように振る舞う人が多すぎる気がする。芸能人が不倫をしなくなれば、世界は平和な場所になると思っているのかしら。

2017年11月2日木曜日

 図書館に延滞していた本を返して、インターネットの契約を新たに結ぶ。
 リセットリセット。すぐにリセット。
 
 朝はアインシュタインについての映像を見ながら準備をする。
 アインシュタインは思考の中で実験をする。そして、彼はロマンチストでもある。
 靴下はあまりはかなかったそう。
 
 金原ひとみの本の続きを読んでる。小説とは、こういうものだから、という考えにもとづいて言葉が並べられているのがよくわかる。小説というのは、こういう生活描写をして、こういう風に自分の思いを吐露したりして。

 久しぶりにある人から連絡がきて、その人の紹介でライブにいった。
 そこにいたパフォーマーの男の子の音楽が私はとても好きだった。ピアノのひって、
 メロディに歌詞をのせる。マイクに向かって時々指をならす。

 コンセプチャルなバンドよりも私は単純にメロディが好きな音楽が好きだったりする。アリアナグランデを聞いて自転車に乗ってるなんていったら感性を疑われてしまうのだろうか。だけど、私の心はデタラメで、理屈ですべてを整理することに抵抗しようとする。

 ジャスティンビーバーをこき下ろすことが正義だというような空気が苦手。
 感性はだからそういう空気に抵抗するように、ミーハーな音楽を好んだりする。

2017年10月22日日曜日



  雨、雨、雨が続く。雨が続くと自転車の出番がなくなってしまう。外にでかけるのにはいつもよりさらに強い理由が必要になる。「理由はでっちあげるもの」

感情をコントロールしようと思っても、感情は猫のように気ままで、「右にいって」いっても左に向かって歩き始める。走って走って走ってと思っても、とまったままピタっと動かなくなる。理由をいくらたずねても、教えてくれない。

大久保のヒカリノウマという喫茶店にライブを見に行った。
18時オープンとかいてあったけど、18時になっても店はまだあいてない。
ヒカリノウマというカフェだと聞いてるのに、看板には「キューピット」と書いてある。

なかに入って始まったと思ったら、どうもリハーサルらしい。
パフォーマンスはとても面白かった。感性に忠実に音を選んでる感じがする。
帰り際に、パフォーマーの男の子に声をかけて、少し話をする。気さくな感じできどらない人で、すぐに好感をもった。最近、人と接触すると、単純に嬉しい気持ちになることが多い。連絡先を交換してそのばを離れ、もう一人との待ち合わせ場所に急ぐ。

感性に忠実である人たちに会うと、身が引き締まる。
外は嵐。嵐は季節の変わり目に突如やってくる。すべての流れをかえるいきごみ。




2017年10月17日火曜日

 久しぶりに朝早く起きて勉強をした。やっぱり体が喜ぶのを感じる。
 名作の言葉に触れるときは、抵抗力が強いくせに教科書を読む時は無抵抗にすべてを吸収しようとするみたい。私が知りたいのは誰か特定の人の視点ではなく、この世界のことなんだと、身体はよくわかってるみたい。

 ノーマンメイラー、HGウェルズ、そういう「作家」たちの言葉を鵜呑みにするのがいやらしい。体がいやよいやよと抵抗する。案外体が抵抗しなかったのは、ボルヘスの言葉に触れたとき。といっても彼が英文学を解説する本で、彼の小説ではない。
 
 新宿で用事をすませて、駅の喫茶店でWIFIにつなぎ、彫刻家と取り組んでいる課題について調べる。それから池袋にいく。

 街はとても大きい印象。六本木よりも大きい感じがする。
 大きいのに、ぎっしりとお店がつまっているというわけではなく、少し歩くと
 道路しかないような場所がたくさんある。時の流れを感じる場所も結構多く、印象がとてもさだまらない街。ラーメンが美味しいイメージだったので、ミソラーメンの「花田」に入る。普通に美味しかった。ボリュームはあるけど体に悪い感じもせず、お店の人たちは真剣な顔でラーメンを作ってた。

 街としての印象が、こんなに定まらないところもなかなかないなとおもう。
 
 雨、雨、雨。そしていきなりとても寒い。夏からじょじょに冬になっていく感覚ではなくて、ページをめくったらいきなり冬になってしまったような。軽装で自転車を乗り回して楽しい季節が終わってしまったらしい。涙、涙、涙。

 焼き鳥屋さんにカメラを忘れてしまい、夕方に取りに行った。アイポッドを充電して、
音楽を聞きながら街に出る。冬はものおもいにはとてもいい季節。ものおもいに向かない季節なんて私にはないのかもしれないけど。

 本吉によって、買いたい本がないか探してみる。どれを手にとってみても、読み終える自信がわかない。好きな本を反復して身体に染み込ませるのが好きで、一回だけ読むのは苦手。旅行をするきにならないのは、好きになった場所には何度も通いたいからだと思う。
 
 焼き鳥屋さんも、本吉も、とても近くにあるから何度もいける。本吉の100円コーナーで、金原ひとみの「星に落ちる」と買ってみる。オレンジに銀の文字の装丁が好きだったから。1個目の短編を読み、新鮮さを感じる。恋人のいる男の人が好きで、
その人と会えると安心すると同時に愛がさめていっているのではないかと疑心暗鬼になる女の子の視点から描かれた物語。そういう子って、こういう風に思っていそう、という感じがすごくよく描かれていたと思う。

 きっと好きな人が思い通りにならない時、女の子はこんな風に不安になるんだろうなと
思う。ただ共感するかというと、全然しない。こういう時はこういう感情になる、という方程式が私にはあまりあてはまらないのかもしれない。好きな人に恋人がいて不安になる感覚より、好きな人を見つけたことが嬉しい感覚が買ってしまう。目の前にハムがあったら「ハム食べたい!」って思ってしまい、これは誰のハム?と質問をしてしまうのを忘れてしまう。しっぽはパタパタゆれて、ヨダレもたれる。アホなのだと思う。

 言葉に繊細さを感じて、心地のよいリズムではあった。他者の感覚を知るのは好きだから、読んでみてよかったなとおもう。



2017年10月16日月曜日

逆転することができない、エントロピーの法則のことを考える。「できない」といわれると「できるかもよ?」と思ってしまう。
科学番組を見ていたら、もしもエントロピーの法則(すべてが無秩序に向かっていくという法則)に反抗したければ、ものすごいエネルギーが必要になるって。

ものすごいエネルギー。

つねにものすごいエネルギーを使って、秩序に向かわないといけない。

雨、雨、雨。世界はとっても寒くなってきた。

2017年10月15日日曜日

携帯の電源を切ったまま半日を過ごし、念のためと電源をつけてメールをチェックしたらお店から3通ほどメールが。。電話をかけると、「携帯の電源はいれておこうね」と一言。

仕事の用事で渋谷にいき、一時間ほど時間があいたので、街を散策する。
といっても見たのは109。秋のセールをしているらしく女の子たちがハロウィン風の衣装を着て、タイムセール中!とか叫んでる。

一階から6階までグルっと回って見つめてみる。洋服も、チラ、チラ見てみる。
通り過ぎる女の子たちもチラチラ見てみる。彼女たちは雑誌の中の女の子たちを真似するのがとても上手だと思う。どこかにお手本があって、それにどれだけ近づけるのかということにプライドを感じているのだと思う。インスタに乗せるためか、カメラを向けると店員のお姉さんはすぐに顔をつくってピースをする。顔の筋肉の動かし方が素早くて思わわず見入ってしまう。

 世界はとっても不思議な場所。目をまんまるくさせて見つめてしまう。
 鏡にうつった私は雑誌の中には到底入り込めなさそう。雑誌の中にも小説の中にも飛び込めず。

 ついでにドンキホーテにも入ってみる。ものがいっぱい。
 もの、もの、もの。ここにももの。もの、人、もの、人。
 私たちは何を買うためにこの世界に生まれてきたのか、考えるためにドンキホーテに行くのです。うさぎと亀の形をしたビスケットがとても可愛かったので、買ってみる。

 私はうさぎなのか、亀なのか。うさぎの形をした亀か、あるいは亀の形をしたうさぎか。歩くのがとっても遅いうさぎか。それとも早足の亀か。んー私は歩くのがときどきすごく早くなる亀かなぁ。でも普段はあまりにも遅いので、みんなにヤーイヤーイと、石を投げられて。それで、そこに心の優しい浦島太郎がやってきて。あ、違う物語だ。

 と、無駄に(とても無駄に)考えを膨らまして、ドンキホーテで買ったビスケットは案外美味しかった。



 


2017年10月14日土曜日

 雨、雨、雨。赤いボーダーのセーターを着て出かける。
 仕事が案外忙しく、勉強、製作に頭があまり回らなくなってしまった。化粧をしながらシックスセンスについての科学番組を見る。ヒョエエ ドヒャアア 驚きが止まらない。
 
 現代アートの本をペラペラめくる。ドキドキする。でも驚きは、そんなに感じない。
 才能がある人たちなんだなぁと思うけど、ヒョエエ ドッヒャア は科学の話を聞いてるときのほうが大きい。やっぱり現実の方が、人間の創造物よりも面白く感じてしまう。

 その科学番組が「意識」というものがお互いに作用する力について解説していた。
 一人の意識が他者の意識に連動し、「総合意思」を作り出す。というもの。

 現実の方が、人間の作ったものより面白いね。っというと、世界は少し照れる。
 じゃあ、もうちょっといい役割にキャスティングしてあげようか?なんて。
 枕営業みたい。

 帰り道、美容院の女の子が追いかけてきて、写真についていくつか質問をしてきた。 
 立ち話をしながらキャッキャと話す。飲みに行こうねと約束する。携帯番号を教える。
 おうちで中華弁当を食べて、製作について考える。彫刻家に電話したら話がどんどん
 脱線して、笑が止まらない。私たちは昔から脱線が得意で、脱線しているうちに物語がまったく違う展開になってびっくりすることがある。

  美味しいパンをたくさんしってる彫刻家を目指して頑張っているみたいなので、
 私も美味しいコーヒーをたくさんしってる映像作家を目指して頑張る!
 
 

2017年10月12日木曜日

 彫刻家と一緒に街を散歩したときに買った黒いイヤリングがとても気に入って、毎日つけるようになった。ホットピンクのリップも、朝つけると楽しい気持ちになる。

 今日はとても天気がよくて、10月なのに夏みたいな気持ちで街を歩いた。
 昼ごはんはいつもの中華屋さんで五目麺。550円。具はたっぷり入ってて味もとっても美味しい。お会計の時に「あつい、あついね。」と一言。ブックエンドコーヒーでアイスカフェラテを飲む。

 母親から頻繁に電話がかかってくる。ヘルメットを買いなさい、クリムトの絵画を紹介する面白い映画をみたわよ。それから、去年シーツを燃やしてしまったあの電気ストーブは危険だから使うのをやめなさい。などなど。

¥ 

2017年10月9日月曜日

今日は撮影。化粧はどうせ取れるからとあまりせず。キャップをかぶっていったのに、
ストロボがあたってかぶれず。やんちゃな小学生みたいに後ろ向きにかぶろうか迷ったけど、恥ずかしくてやめた。
とても雰囲気のいい幼稚園だから、のびのび楽しい気持ちで撮影できた。もちろん反省もたくさん。帰り道、ぷらぷらと歩いてたらお客さんと偶然会ってなぜか煮物をもらった。

後輩の女の子と打ち上げがてら今成で飲む。体を動かしたあとのお酒はいいなぁと思う。
だらだら飲むのとは違う爽快感がある。しめのラーメンもとても美味しかった。

そういう日常にほくほくとした気持ちで家に帰ったら、久しぶりにある人から連絡がきていた。私の尻尾がパタパタゆれる。心から言葉が溢れ始める。普段はふちどってはいけないと自分に禁じているような言葉が自然と、その人の視点に反応して形を求めてさまよい始めるのを感じる。

その人の言葉には私の目を冷ます力がある。流されやすい私の足を止める力。その人の言葉は形状がしっかりしていてだけどとても柔らかい。フォークではなくスプーンで食べれるような感じ。何を食べているかはよくわからなくても私はとても嬉しくなる。だから、嬉しそうにしていると、不思議な顔をされる。

かつてのバンド仲間が東京でツアーをするらしい。少し聞いてみただけで、現実認識が180度変わってしまうような、感性の鋭さを感じる音楽。その人のパフォーマンスをみるために、私は一人でニューヨークのブルックリンのライブハウスに足を運ぼうとしたのに、あまりの大雨で、会場が変わってしまって、あきらめたんだっけ。今回は、きちんと足を運ぼうと思う。

2017年10月7日土曜日

今日は休日だけど、カメラをとりにお店にいった。富ヶ谷の古着屋さんで買った水色のセーターを着る。気温が急に下がったので体がついて行ってないみたい。
朝はすこしだけ科学の勉強をする。偶然と発見の関係について。
街案内をしばらくしていたので、ペースが乱れてしまい、机に久しぶりに座った気がする。知りたいことを知っていると心が喜ぶ。だからやっぱりしばらく遊ぶのは禁止にする。

お腹が減ったので、お店からの連絡を待たずに出かける。
明日は晴れるのでキャップでも買おうかなと街を散歩して、シモキタとかかれた白いキャップを買った。かぶると案外似合う。つばの裏側が緑色なのがいい。少しつばの部分が汚れていたので、400円ほど安くしてもらえた。

お店に入り、店員の男の子と少し話す。たわいもない話。
日常を少しアップデートするだけの。飲み会に誘ってくれたので、「目標を達成するまで遊ばないことにした。宣言しちゃったから遊びにいったら罰金なんだ。だから罰金払ってくれるならいいよ。」といったら「払ってもいいよ。」とのこと。なんてありがたい話。

上司には「孤立するからやめなさい」と言われた。でも私は孤立したい。一人で、立ってみたい。よろよろとしていたとしても、一人で。

 If you feel lonely when you are alone you are in a bad company といったのはサルトル。

私が一人で立ちたいと思えるのは、きっとGood company にいるからだと思う。

2017年10月6日金曜日

下北沢の古着屋さんで買った赤と黒のボーダーのセーターを着て出かける。奥様はすぐにそれに気づいてくれた。仕事ではそろそろ運動会の撮影なので、カメラの復習をする。

お昼は渋谷に行ったのでついでに散歩をする。麗卿に入り、五目焼きそばを食べる。
店長らしき人が近寄ってきてこれをつけると美味しいよ、とか、春巻き食べきれないなら包んでおくよと声をかけてくれる。どうもお土産を買った他のお客さんと間違えていたみたい。松濤の方まで歩き、カフェに入る。空間は気に入ったけど、コーヒーはネスカフェの味。

先輩が私の撮った写真を見て、「なんでよりによってこんな写真を?」と言っていた。
私はなんだかそれが可笑しくて笑ってしまう。

ギャラリーで多くの人を相手に自分の写真を説明しなくてはいけなかったときは苦痛に感じたけど、こうやって率直な意見を聞くと、新鮮さと驚きを感じる。私はかざらない言葉が好きだから、自分への率直な批判には耐えることはできる。耐えられないのは、人工的な優しさ。思いやりというお揃いのドレスをきて兵隊のように足並み揃えてマーチをする言葉たちをみると、気持ち悪くなってしまう。「そんなの、ちっとも優しくない。」

クンクンと匂いをかぎ、優しいつもりで渡されたその言葉を私は平気でつきかえしたりする。私がよろこぶ言葉は私を笑わせてくれる言葉。優しい言葉より、クスクス笑える言葉のほうが、生きる力をくれる気がする。




部屋を片付けると、気分が少し落ち着くようになった。発酵したパイナップルを捨てて、
冷蔵庫の上をよく吹いて、たまっていたゴミを捨てて、床を雑巾掛けをする。
シーツを洗って取り替えて、ガーゼのような生地のブランケットを上に引く。

お気に入りの緑色のキャミにリーバイスのジーンズをはき、ホットピンクの口紅を塗ってでかける。

お店につくと気分が落ち着く。仕事はやっぱりとても楽しい。

帰り道に一番街のカップケーキ屋さんに行った。姪のバースデイのため。
ピンクが好きなので、ピンクのクリームののったケーキを2つと、ハロウィンのカップケーキを2つ買う。箱に詰めて100円のリボンもつけてもらう。

自転車に乗って姉の家に向かい、夕飯を食べてから姪にカップケーキを見せるとニコニコ嬉しそうに食べていた。リボンをつけて「プリンセスみたいだね」って。

3歳になったらおしらになるっていっていたことを思い出して、おしらになった?って聞いたら「まだ。」とのこと。私もおしらになれるかな?と聞いたら「なれるよ!」と励まし口調でいってくれた。おしらになれるなら、私も頑張る。




2017年10月4日水曜日

 さて、リセット。(とそればかりしていても仕方ない)
 言葉が心の中にたまっていくと、今度は私はそれを排除しはじめる。違和感を感じたものは記憶から消し去ろうとする。「さようなら、さようなら」私はさようならばっかり言っている気がする。

 今日は間違えて出勤日でもないのに職場にいってしまった。
 修行僧のつもりで生きようと決めて、nyの先輩のTシャツをまた着てみる。
 下北沢の食器屋さんで買った700円のホットピンクのリップを塗ってみたら結構似合う。上には三軒茶屋の古着屋さんで買ったベビーピンクの刺繍の入ったアウターを羽織る。「間違えてきちゃった」とスタジオの人に挨拶をするとみんな大笑い。久しぶりにあった奥さまは相変わらず目がとてもきれいで、目を合わせただけで心が少し浄化される。