2018年1月15日月曜日

最近、美容というものに少しだけ興味を持ち始めた。といっても、普通に生活しているうちに気づいたらきれいになっちゃってた。みたいな、そういうタナぼたてきな、方法をかってに考えて、実践してみているだけ。
 どうせ読書するなら腹筋しながら、とか。どうせお風呂を掃除するなら音楽を聞いて体を大きく動かしながら。とか。どうせスパッツをはくなら加圧のものにしてみて。。とか。楽しく暮らしていたら、いつのまにかシェイプアップしていたら面白いかも。と。

勉強をルーティーンの中に取り込んでいくとだいぶ気が楽になる。本当は知りたいことをむししながら何か違う目的に向かって走るのはとても苦手らしい。世界史という下地を作ってから世界をみつめなおすと、「世界はとっても奇妙な場所」に思えてくる。

明日は、いくつかやらなくてはいけないことをすませるために電車にのる。自転車での生活になれてくると、今度は電車賃が気になりはじめる。自炊になれれば外食の費用もきになる。金銭感覚とは相対的なもので、あっというまに変化していくものらしい。

今日は哲学の講義を聞きながら、お風呂掃除をした。ユニットバスの下を見るのはいつもとても怖い。しばらく掃除をしていない場所は一生掃除したくない場所になっていってしまう。頭の中もきっと同じで、触れられることのない情報は無用の長物となって頭の中で異物とかしてしまうと私は思う。勉強は筋トレみたいなもの。

2018年1月14日日曜日

  自由の使い方。今、私は少し自由な時間を増やしてもらっている。自由になったときに何をすべきなのか、一から再考しはじめる。やっぱり勉強は続けたい。無駄だとはどうしても思えない。
  私たちがどこへ向かって歩くべきなのか、それを知るために過去を切り離すことはできない気がする。自由の歴史はとても短い。歴史を勉強するとそれがよくわかる。情報がまったくない時代には権力者たちが何を正しいかを決めることができた。学問が発達し、神学とは離れた科学的研究が許されるようになり、科学で理解できないことが何もないように思えた時代も通りすぎ、今度は科学にも限界があることを知る。
 量子力学はその科学の限界をよくあらわしている。

 私たちは何かをすべてから切り離して、その切り離したものだけを見つめる日々になれてしまっている。個人として生きることが許される時代になったかわりに、今度はつながりがみえずらくなってくる。ソーシアルメディアで見つめることができる世界は実は断絶されている。本当は何も知らないのに、集団の中に存在しているような錯覚を、ソーシアルメディアは与えてくれる。私たちは自分たちの一部を常に情報として世界に紹介することになれていく。「よりよい自分」「より素敵な私」を切り取って、自分を宣伝することになれてしまっている。

 何もかも知ることができるかわりに、何もしることができないような、そういう世界の中に私たちは放り投げれられている。

 朝起きてすぐに勉強を初めて、それからチャリンコを飛ばして図書館にいく。図書館でスポーツ新聞をながめるおじさまがたの中で予備校の教科書を読みながらノートに書き込んでいく。途方にくれるような地道な作業。世界を知ることの難しさを、常に感じる。

 だけど以前のように身体の痛みがない。身体の痛みから解放されているから、長い道のりも歩ける気がする。焦らず、じっくり、自分の感覚をとぎすますつもりで。

 ふと立ち上がり、本棚の中から一冊を選ぶ。マルグリットドゥラス。私は彼女の本をみるといつも手にとってしまう。彼女の言葉の価値を、まだ理解できていないことが気になっているのだと思う。だけど、言葉に触れて、身体が反応する。
 「あなたがそうするならば」私も、海の中に潜りこもうと思う。

2018年1月13日土曜日



友人が、いくつかの音楽と漫画を送ってきてくれた。勉強していたのを中断して音楽を聞いてみる。やわらかい音がすっと心に浸透していく。私は肌触りのよいもの、やわらかいものが好き。繊細すぎて消えていってしまうはかなさの中に、静寂に耐える強さを感じる。私は静寂に耐える力がとても弱く、沈黙をすぐに雑音でうめてしまいたくなる。


昔映像の授業で、本当に無菌の水というのは、体には毒だというのを読んだことがある。
その時に「純粋」であることを保つことが難しいということを実感した。世界の悪を吸取りたくないと抵抗し続けることが一番人を一番苦しめてしまうのかもしれない。

肌触りがよいといえば、寒さ対策をどうしようと頭をひねった結果、フランネルの電気毛布を購入した。モコモコした茶色い生地の毛布をベッドの上に広げたら部屋は重層感がました。くるっとくるまって眠ると幸せでいっぱいになる。

電気毛布の方が、電気代が安いらしい。でも部屋は貴族趣味な感じになってなんだか笑える。節約しようと思った結果セレブになってしまう、ということもある。節約しようと自炊を初めたら健康になり、肌が元気になった。肌がルンルンしてるのをよーくみたら顔じゅうそばかすだらけ。雑誌をめくりながら「そばかすっていいなぁ」って他人事のように思ってたのに、私の顔にもあったのか!と気づいて、「灯台下暗し」とはこのことかとうなづく。

2018年1月8日月曜日

 外は久しぶりの雨。こんな日は勉強日和。今は実は美術史が一番面白い。世界史を頭にいれたのは思想史を理解するためだったんだけど、美術史が格段と面白く感じるようになった。フェルメールの絵画について、見つめながら考える。

 友達にすすめられて矯正下着というものを購入してみた。フィッティングしてもらったらあらゆるところのお肉を集めて胸を作り出してくれた。ぷっくらふくらんだ胸がいつもの胸よりも高い位置にやってきて、「なんだかコントみたい」と笑ってしまう。背中の肉をよせあつめて作られた胸はラードをたっぷりふくんだネギトロのようなインチキくさい形をしている。

 フェルメールの絵画が好きか嫌いか、考えてみると「どちらかというとそんなに好きじゃない」というカテゴリーに入る気がする。嫌いじゃないけど、好きではない。視点に「モラル」みたいなものを感じて、少し窮屈な気持ちになる。

 カラヴァッジオの絵画の方が好き。コローは、本当に人がよかったらしい。
 ターナーは案外ひねくれものだったときいて、絵画を見直してみたい気持ちになった。

 絵画も第一印象で決めつけてしまう私が世界史を知る事で、大きな流れの中で
 個人としてどういう選択をしたのか、という視点で見つめることができるようになってきた。そうすると時代の制約の中で戦ってくれた芸術家たちに、必然と敬意の気持ちがわいてくる。

 したり顔で批評をしたりするのは簡単なことで、自分たちが信じることを形にすることはとても大変なことだとわかる。


2018年1月7日日曜日

目的地をいくつか決めてチャリンコを飛ばす。今日は松陰神社に行って初詣をすませた。
松陰神社駅は個人経営のお店が生き残っていて、足を運ぶと必ず何か新しい発見がある。
お参りをすませて、白いお守りを一つ買って、それからおみくじを引く。

思い出せることを書いておく。
 小吉
 簡単にできるものは簡単に崩壊する。すばやく進むものは退くのも早い。じっくり時間をかけて、しっかりと前に進めること。勉学は挫折する可能性があるけど、再挑戦するとうまくいく。願えばかなう。恋愛は復縁は禁物。

 ナイス忠告。私が間違えやすいことはすべて教えてくれる。

 お腹は対してへっていなかったけど、ポポタマスというお店に少し列ができていて気になったので入ってみる。あっさりしたものを食べたい気もしたけどガリチーハンバーグを注文。「思った通りの味」という感じなんだけど、もったりすることもなくてとても美味しかった。

 チャリを飛ばして環七へ戻り、淡島通りをまっすぐ走って駒場東大前あたりを走ってみる。それから、松濤美術館の前を通って渋谷のヒカリエの方へ向かう。アニキという名前のヴィンテージショップに入ってみるとお姉さんが話しかけてくる。「以前いらしたことありますか?」私がちょっと考えて「はい、少し前ですけど、一回きた事あります。」真面目に答えたら「マジメに答えすぎ」という顔をされた気がする。こういう接客が流行ってるのか。チャオタイというタイ料理屋さんを左にまっすぐ走って、渋谷の図書館へ!好き。持っていた5冊の本を延長して、それからCDを借りる。ビリーホリデイ、ウタダヒカル、トム・ヨーク、チェットベイカー 相変わらずデタラメなセレクション。

 でも、図書館のCDで自分のアーカイブを一回作ってみて、それで見つからないものだけをレンタルで借りるのもいいかも。ととりあえず、借りれるものを借りてみることに。

 そこから青山に向かう。ユニセフの前でマーケットみたいなことをやっているので冷やかし程度に中を通ってみる。それからキャットストリートに向かう道で、美容院ばっかりの通りがあって、ウワァ原宿ってカンジィ。って思う。私は姉からいつもバカにされる緑色のパタゴニアのジャンパーにアディダスの青いトレーナー。目がついているのが気に入ってる手袋。なんとなく、イモいって思われる予感で心を満たしたけど、でもカバンの中には渋谷の図書館で借りた本が5冊も入ってるんだクールでしょ。と思った。



2018年1月6日土曜日

 静かに情報を整理していく。思考を正すのと同時進行に、部屋を整理していく。
 古典絵画についてもう一度おさらいをしている。教科書に残ったものがなぜ教科書に残ったのか、それを理解していく。
 そうすると違和感を感じた絵画の「意味」が理解できる。
 ヴェラスケス、ルーベンスは当時の政治的な力と強く結びついている。彼らには画家としての表現力だけではなく、政治的な力もあったことをしる。生き残るために必要だと判断したことは芸術の領域の外であっても行う。
 アングルはバイオリンがとても上手だったらしい。

 私は悪を信じない。悪を信じないのは、私は善も信じていないからだと思う。
 善になりたいという衝動の影には価値とみなされたい欲望が隠れていて、私はそれが嫌い。だから綺麗な言葉を並べてうっとりしている人をみると「品性下劣」と思う。

 ソーシャルネットワークにはなぜだかそういう言葉が乱用されるので、
 「欲が深いなぁ」と思いながら見つめていた。
 さて、でも真面目に、再スタート。「はぁ。今度こそ」と思いながら。

2018年1月4日木曜日

 あけましておめでとうございます。といっても私は、特別な事は何もしないと決めたかのように今年を迎えました。朝起きて、友達と年末に酔いながらコンビニで買ったカップヌードルカレー味を食べて、ちょっと考え事をして、少し掃除をしました。

年明けから下北沢は賑やか。正月ぼけの表情も見せずにシャキッとした顔で「あたりまえのように」働く姿になんだか勇気付けられます。お昼はモスバーガーでムシャムシャバーガーを食べました。

となりの女の子たちが「モス美味しい」「本当にモス美味しい!」「すっごい感動してるけど、モスだよ。」っていってるのがみみに入ってきて笑いました。

薬液を交換したので、お店は薬の匂いが充満。だけどプリントがフレッシュな感じがして嬉しいです。先輩カメラマンたちもいつも通り働いてます。奥様の言葉ひとつひとつに優しさがつまってて、目をまんまるくさせて感動してしまいます。こんなきれいな言葉、本の中でにはきっと転がっていない。真珠みたい。

真珠よー!こんなところに真珠よー!と心の中で騒ぐ。本当にきれいな言葉は本には着地せず、ひそやかに暮らしているのが好きな模様。